
今回は日記文学について簡単に解説致します!

日記が文学?
よくわからないですよねー
でも、文学の起源は日記みたいなものです!
土佐日記
日記文学の始まりは土佐日記といわれています。
これは男性である紀貫之が、
女性の書き手になりきって書いたものです。
これ以降、男女問わず数々の日記文学が生み出されました。
ちなみに、土佐日記の冒頭は、
「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」で始まります。
日記文学の歴史
平安時代に「万葉仮名」をもとに日本語の音を表す、ひらがな・カタカナが生まれました。
ひらがなは漢字を崩したものです。
漢字を「真名」というのに対して、このひらがなは「女手」と呼ばれ、
漢字を学ぶ機会のない女性が使うものとされていた。
当時「日記」といえば、男性貴族が漢文で書く
ただの記録に過ぎませんでした。
しかし、『土佐日記』では、虚構を混ぜつつ、和歌も57首書かれています。
土佐日記の内容
内容は、亡くした娘への思い、京への思い、旅の不安など、
心理描写が多く、それも今までの漢字だけでない、「かな」を用いることで、
些細な心理の変動まで、細やかに書かれています。
なので、日記という体を成しながら、
創作性も高い文学作品として書き上げた、という点で『土佐日記』の功績は大きいとされています。
その後の日記文学は、女性の書き手によって奥深いジャンルへとなっていきます。
その他の日記文学
例えば、『蜻蛉日記』、『和泉式部日記』、『紫式部日記』、『更級日記』など数々の作品が生まれました。
なかでも『蜻蛉日記』は女流日記文学の代表作とされています。
『蜻蛉日記』は、のちに摂政・関白となる藤原兼家に求められて結婚するものの、
夫が他の妻のところへ通っていたり、正妻の座を争って敗れたりと、
当時の女性から見た結婚生活の苦難などを、21年間を記録したものです。
これだけでも、とても面白そうに感じますよね。
当時の方はどんなことを考えていたのか、どんな生活をしていたのか、今の女性との違いなども興味深いですよね。
文学についてさらに知りたい方はこちらをご参照下さい。
今回は「日記文学」について説明しましたが、
『純文学』特化メディアの「ブンガクブ」では、オススメの純文学はもちろん、芸術や文化、歴史など純文学をより楽しめる情報についてもわかりやすく解説しています。
是非、他の記事もご参照下さい。
今回は、見てくださいありがとうございました。
終わり
(参考:小和田哲男.1日1ページ、読むだけで身につく日本の教養365歴史編.文響社.Kindle版.)